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  • maoyama66

軍司 かりん(Karin Gunji)



学校名:札幌新陽高等学校 探求コース 3年生

名 前:軍司かりん(Karin Gunji)

留学プログラム:高校留学(中期)

留学国:フィジー共和国

留学期間:2019年1月~2019年3月 約3か月





 私は、高校1年生の1月から4月までの約3ヶ月間フィジーという国に留学していました。私にとってあの3ヶ月間をずっと忘れることは無いでしょう。私の第2の家族・友達が沢山住んでいるとても幸せな国です。私は、留学生活を通して「自分の思っている当たり前というのは決して当たり前ではない」ということ「出会いと原体験を求めて踏み出す勇気の大切さ」など他にも沢山のことを学びました。そして、不安でしかなかった語学の面でも気持ちに変化をもたらすことが出来ました。私は、初めての海外の行き先がフィジーであったこと、留学先がフィジーだったこと、この国を選んで良かったと思っています。皆さんは、フィジーという国を知っていますか?私は留学前、フィジーがどこの大陸に分けられてどこにあるのかすら知りませんでした。今なら、ラグビーワールドカップが開催されたことで知っている人も多いのかなと思います。なぜフィジーという国を知らなかったのに留学先をフィジーにしたのか、それは私が留学すると決める決意にいたったある人との出会いにあります。

 私は、母が昔ワーキングホリデーという制度を使って1年間オーストラリアに行っていた話をよく聞いていました。そのため、いつか私も海外に行ってみたい。少し軽い気持ちで留学してみたいなと思っていました。ただ思っていた私を絶対に行く。という気持ちにさせたのは今通っている新陽高校に入学して出会った一人の先生との出会いです。先生は、海外で働いていた経験もあったり人脈が広くいろいろな活動を行っていました。ボランティア活動の案内を全校生徒に良く周知してくれたり、海外の大学に通っている大学生の人の交流イベント開催してくれたり、そこに参加して、沢山の人に出会ったことで自分も変わりたい。そんな風に思う気持ちが強くなりました。


 そこから海外留学についてしっかりと調べ始めて費用もかかるものなのでその辺についても調べていくとフィジーが留学先として沢山出てきたのです。そこで初めてフィジーという国を知りました。段々、フィジーという国が気になり初めて、ある時そのことを先生に伝えると、「今度フィジー・オーストラリア留学について説明してくれる人呼ぶ所だったんだよ」ともうこれはチャンスなのかと思うほどタイミング良くいつものような説明会が行なわれました。ネットの情報だけではわからなかった内容を聞いて更にここに行ってみたいというワクワク感が大きくなりました。そして、色んな会話を家族・先生としてフィジーに行くことに決めました。また、私の留学目的は語学力の向上だけではなく「教育を知ること」、自分の受けてきた今までの教育と発展途上国のフィジーでの教育って何が違うのかなど、自分が実際に行って「教育」を元に様々な人たちと繋がりたいと思いました。私は、「教育が変われば未来が変わる」そんな風に思っているし、自分を変えてくれた先生との出会いが教育現場であったことなども関係しています。私は、それに伴って「未来への一本」という名前のプロジェクトを立ち上げました。教育を受けるためのスタートとなるであろう文房具をフィジーに持っていって贈呈しようというプロジェクトです。自分自身の未来の一歩を踏み出すためにも行ったプロジェクトはSNSを通じて様々な人が文房具を北海道に住んでいる私のところまで送ってくださりました。沢山の人が協力してくださったおかげでフィジーには大きなダンボール5箱分のものを持っていくことが出来て、私が通ったKOROVUTO COLLEGEと他の学校にも贈呈させて頂きました。贈呈前には、私の拙い英語でスピーチをさせて頂いて、初めて出会った全校生徒の前でのスピーチはとても緊張しました。しかし、前日にホストファミリーと何度もスピーチ練習を行ない発音の確認などもしてもらっていたので英語の発音などには少し自信をもって取り組むことが出来ました。

 そんな私の留学生活がどんなスタートでどんな終わりだったのかざっくりとまとめたいと思います。フィジーについた瞬間思ったことは、もうとにかく「暑い、暑すぎる、死にそう」こんな暑さの場所で過ごすこと出来るのかなとフィジーの暑さに驚きました。でも、この暑さは今では恋しく思えます。初日は学校に必要なもの制服やノートなどを買いに行ってそれが終わるとついにこれから3ヶ月お世話になるホストファミリーへの挨拶でした。私のファミリーは、インド系フィジー人でFather、Mother、同い年のSister,年下のBrother&Sisterの5人家族でした。みんな笑顔で迎え入れてくれてお部屋も広くてべットも大きいSisterとのプライバシーがしっかりと守られた同じ部屋でした。そのおかげで、話す機会が増えてすぐに仲良くなることが出来ました。そして、フィジーでの最初の洗練は北海道にいない生まれて初めて見るゴキブリの登場です(笑) フィジーは暖かい国なので虫の大きさは少し大きかったです。でも、この虫も3ヶ月を通して慣れました。初日は疲れたので早く寝てこれからの生活に備えました。ただ、やっぱりフィジーについて2週間はホームシックで毎日夜になると悲しかったです。それでも、フィジーの家族は優しく温かく接してくれるし学校での生活も少しずつ慣れてきた事でホームシックを乗り切ることが出来ました。初めての学校は、クラスに入る前緊張で泣きそうになったのを今でも覚えています。勇気を振り絞って入ってみると沢山のクラスメイトが興味津々に私のことをみてくるので余計に緊張しました。でも、私の隣の席になったバディのような女の子はとてもかわいい笑顔で色々教えてくれたり、単語を並べて話している私の伝えたいことも頑張って理解してくれました。その子は、学校の最終日まで常に隣の席で私と仲良くしてくれたし、沢山話した大好きなお友達の1人です。クラスは、フィジー人・インド系フィジー人と結構バラバラで、こういう面でも日本との違いを感じたし、授業の受け方とかも全然違うなと思っていました。最初は授業のノートをとるスピードが結構早いのでついていけないし、日本での英語の授業の字はとてもきれいな中で過ごしていたので現地の人の字を見ると理解出来ない字があったりとても大変でした。とにかくノートをとることに必死で何について学んでいるのかは全然理解出来ませんでした。それでも、毎日のようにHomeworkは出てくるので家に帰って辞書で単語を調べて、でもわからいのでSisterやMotherに教えてもらっていました。学校に少しずつ慣れて友達が増えてくると間に合わなかったノートをとるためにノートを貸してくれたり、宿題を教えてくれたりする機会が増えてみんなと授業を通してのコミュニュケーションが増えました。とにかく最初のうちに勉強のノートをとることを頑張ったのである程度日が立つと普通についていけるようになった瞬間がいきなりきて自分の今まで頑張ってきたことの成長を実感しました。また、前は見せてもらっていたノートを自分が見せる立場になったときはホントに自分の頑張りは無駄ではなかったと実感して嬉しかったです。授業の内容は全然ついていけなかったけど。唯一数学と社会だけは頑張って取り組んだので理解出来るようになりました。フィジーの教育を学びに来たからには、とにかく食らいつくしか無いので必死に頑張っていました。クラスメイトとも休み時間も毎日仲良く話していたし、常に色んなグループの友達と話すことが出来たのは凄い良かったです。一部の子に縛られずにいろんな子と関わったことで、フィジー語やヒンディー語など色んな言語やその人たちの暮らしや性格なども学ぶことが出来ました。とにかく明るく話かけてくれるし、どこを歩いていても”Hi Karin”と声をかけてくれる友達に出会えたのは幸せでした。今でも連絡を取っているのでここでの出会いは宝物です。フィジーでのご飯は、インド系だったこともありほぼ毎日3食カレーでした。でも、物凄く美味しくて全然飽きません。少しでも現地の人になるために手でご飯を食べるように変えたし今では現地の人並みに手でご飯を食べられます(笑)



 フィジーの人の暖かさは心地よくて、少しのんびりしている空気も心地よくてフィジーにいることに幸せを感じていました。沢山のところに連れて行ってもらったし、SisterやBrotherとも沢山遊んで笑って沢山の愛をもらいました。沢山の文化を学びました。日本を離れて日本の良さも知ったし、フィジーの良さも知りました。私達はただ肌の色や言葉や家などが違って、それでも同じ地球にいきている仲間だということを凄く実感しました。もっと沢山の人と繋がるためにも英語の学習は頑張ろうと思ったし、出来なくても恥ずかしくても単語でも伝えてみるジェスチャーを使ってみる。まず仲良くなるためにはコミュニュケーションを少しでもとることが大切なことを学びました。もっともっと、フィジーで実際に見て、学んで伝えたいことは沢山あるんですが、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。最後のお別れのときにファミリー全員が流してくれた涙は私の3ヶ月の留学生活で得た愛と経験の全てです。またフィジーに帰れるようにこれからも頑張っていきます。一歩前に踏み出すことが大切です。 END

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