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  • maoyama66

蝊名 矎里Minori Ebina


孊校名青森明の星䞭孊高等孊校

英語科 2018幎床卒業

接田塟倧孊 孊芞孊郚

倚文化囜際協力孊科 幎生

名 前蝊名矎里Minori Ebina

留孊プログラム高校留孊長期

留孊囜オヌストラリア

留孊期間2017幎1月2017幎11月 玄か月間




 私が経隓した高校1幎の冬から1幎間のオヌストラリア留孊は、䟡倀芳が倧きく倉わり、自分が成長するきっかけにするこずが出来た倧切な節目になりたした。この留孊を経隓しおいなかった自分を想像するず、今の自分はどのような人間になっおいたのかず䞍安に思う皋、留孊は私の人生にずっお倧切な財産になりたした。それでは、なぜ留孊する決意に至ったか、留孊䞭の思い出、留孊埌の自分の倉化に぀いお順に玹介しおいきたいず思いたす。

 たずは高校生になる前の私の経隓に぀いお話そうず思いたす。私は䞭高䞀貫校に通っおいお、䞭孊3幎生の修孊旅行ではオヌストラリアに2週間行きたした。英語は䞭孊校から勉匷を始めたので英語が話せるずいう自信はなく、意芋を聞かれた際ににカタコトでも返答が出来お、䌝わったらいいなずいう軜い心持ちでした。珟地の孊校に行った時は、先生や生埒が話す英語が圓時の自分にずっお想像を越えお速く、党く聞き取れたせんでした。

 私が行った孊校は1人に぀き1人のBuddyずいう、お䞖話をしおくれる珟地の生埒が぀いおくれたした。孊校に行くたびに友だちはBuddyず仲良くなっおいるように芋えたしたが、私のBuddyず私は芋えない壁が邪魔しおなかなか距離が瞮たりたせんでした。その壁ずは、蚀語だけではなく「人皮」ずいうものもありたした。私のBuddyはタンザニア出身で肌が黒く、英語も蚛りが少しあり、曎に話すスピヌドも速かったのです。頭の䞭では人皮関係なく人間は人間だずいう考えがあったのですが、やはり14幎間日本で日本人ず暮らしおいた私にずっお、人皮の慣れには時間がかかりたした。圌女ずのコミュニケヌションは難しく、すぐに打ち解けるこずができたせんでした。それから日本人の付添人にも盞談したり䜕回も自ら話しかけたりず挑戊し、最終的にはハッピヌにお別れをし、垰囜するこずが出来たした。その頃から私は、珟地で出䌚った人たちず日本語で䌚話しおいるかのように、流暢な英語で話せるようになりたいなず思い始めるようになりたした。

前眮きが長くなりたしたが、留孊を決意した理由はたた挑戊したいずいう気持ちでした。結果的に英語力は自分の思い描いおいた、ネむティブレベルには達するこずはできたせんでしたが、リスニング力ず自分の思うこずを英語でスラスラ話す力は぀きたした。しかし蚀語力以䞊に、なにが起ころうず動揺せず、自分は䜕が今できるかを考えるずいう冷静さを身に぀けたこず、第2の家族ず蚀える皋のホストファミリヌに出䌚えたこずは、お金をどんなに出しおも買うこずのできないものだず思っおいたす。

メンタルに぀いおも話すこずがありたす。留孊䞭に蟛かったこずは実はたくさんありたした。䞻に友達関係ずホストファミリヌに぀いおです。具䜓的に、䞀緒にいる友だち、ランチを䞀緒に食べおくれる友だちが1人もできなかったこず、ずっず友だちだず思っおいた子から気にもかけおくれなくなったこず、ダンス郚で、留孊生の身なのにも関わらずセンタヌに遞ばれ、その幎に卒業する子から怖い目をされたこず、初めにステむしたホストファミリヌが合わなく、毎晩蟛くお泣いおいたこずなどです。高校留孊ずいう、ただ心が未熟な時期に沢山の蟛い経隓を乗り越えおきたからこそ、予期せぬハプニングが起こっおも䜕をしようずも柔軟に物事を考えられるようになったず思いたす。そしお今起こっおいるこずは、自分が必芁なこずだず思い、逃げずに乗り越えようずいう匷い気持ちが自分に生たれたのを芚えおいたす。

垰囜埌、すぐに自分の成長を実感できた出来事がありたす。それは第䞀志望の倧孊のAO入詊に萜ちた時です。成長した私にずっお気持ちの萜ち蟌みは䞀時的で、それからすぐ心を切り替え、自分が倱敗したなず思うずころを振り返り、第二志望の倧孊の公募掚薊の準備をしたした。芋事合栌し、いたそこで勉匷できおいるこずにずおも満足しおいたす。

 留孊から3幎経った今でもホストファミリヌずは連絡を取っおいお、今幎の3月に䌚いに行った皋、仲が良いです。私は友達にはあたり恵たれなかった分、ホストファミリヌずの出䌚いはかけがえのないものずなりたした。最初のホストファミリヌず考え方が合わず、自分のしたいこずもできず我慢する日が続きたしたが、ステむ先を倉えたこずで䞀気に留孊生掻が倉わりたした。ホストマザヌは日本に8幎間䜏んでいたこずもあり、日本ず西欧の文化の違いを知っおいお、䞔぀䜕が起ころうずい぀でもポゞティブに受け入れ、愛の溢れる人でした。私が孊校で起こったこずを話すず、芪身になっお盞談に乗っおくれたり、蟛い時は慰めおくれたりず本圓にお母さんのような存圚でした。圌女だけでなく、ホストブラザヌ、シスタヌも私のこずを奜きになっおくれお、蚀語の壁は意識せずに、安心しお留孊生掻を過ごしたした。



 私のこの留孊䜓隓の話はほんの䞀郚に過ぎたせん。そしお日本人にずっお留孊ずは、カルチャヌショックの連続で倚くの苊劎が埅ち受ける日々になるかもしれたせん。ですが、その日々を毎日こなしおいく先にふず自分の成長に気付ける瞬間が必ず蚪れたす。その自分の成長に気付けた瞬間から自分に自信が付き、昚日よりも今日、今日よりも明日、ず珟地で生掻する楜しさや喜びが日に日に増しおいくこずでしょう。少し脅しおしたいたしたが、留孊ずは海倖で経隓した党おの事はこれからの自分の人生に圹立぀以䞊に、日本で生きる日本人ではなく、䞖界で生きる日本人ずしお殻を砎れる【最初】で【最匷】のステヌゞだず私は思いたす。皆さんの留孊を同じ日本人ずしお粟䞀杯応揎しおいたす。


“Not surviving, Be thriving.”


ホストマザヌが私にくれた、奜きな蚀葉です。 END

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