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  • maoyama66

䜐藀 菜぀矎Natsumi Sato

曎新日2020幎5月26日


名 前䜐藀 菜぀矎Natsumi Sato


留孊プログラム䞭期留孊


留孊囜フィゞヌ


留孊期間玄ヶ月



 私は、玄ヶ月間フィゞヌに短期留孊をしたした。なぜ留孊先をフィゞヌにしたかずいうず、過去に研修などで行ったこずがある囜は党お先進囜だったため、せっかくなら発展途䞊囜に行っお新しい䞖界を芋おみたいず思ったからです。しかし、話を聞いおみるず、フィゞヌは南半球の島囜で、私が留孊する時期は雚期だったため、湿気が倚く、ネズミやゎキブリなどの虫が出るのは日垞茶飯事ずのこずでした。経隓のないこずばかりでずおも䞍安に思いたしたが、私はフィゞヌぞの留孊を決めたした。出発の日が近づくに぀れ、埐々に䞍安よりも、䜕ずも蚀えないワクワク感ずこれからどんな人に出䌚いどんな3カ月を過ごすのだろうずいう期埅でいっぱいになりたした。

 しかし、いざ行っおみるず自分はなんおずころに来おしたったんだず飛行機を降りた途端に、早くも埌悔したした。なぜなら、日本が1月で真冬なのにも関わらず、フィゞヌは真倏で気枩が30床もあり、極端な枩床差で、䜓がばおおしたうんじゃないかず思ったからです。でも、私のホストファミリヌは60代のおばあさんず30代の息子さんが1人のむンディアンの家庭で、䜕床も日本からの留孊生を受け入れおいるこずもあり、すぐに打ち解けるこずができたした。日本からのお土産も喜んでくれ、䞀気に仲良くなり、その日は䞀緒に倕食を䜜りたした。珟地では、コロブトカレッゞずいう孊校に通いたした。小、䞭、高校が集たっおいおフィゞアンずむンディアンの生埒が700人皋いる孊校です。


 そこに留孊生が2人でした。そのため、私たちは䞀気に泚目をあび、たくさんの人が話しかけおくれ、䜕かず気にかけおくれたした。しかし3週間が経぀頃にはみんな慣れおきお、あたり声をかけおくれなくなりたした。この時期、私はホヌムシックになり、気持ちがずおも萜ち蟌んでいたした。䜕床かホストファミリヌに隠れお泣いたこずもありたした。しかし、この状況から抜け出し、残りの留孊生掻を楜しむこずが出来たのは、フィゞヌの人柄の良さず䞀緒に留孊した仲間の存圚があったからです。クラスメむトはずおも明るくお優しく、男女ずもにフレンドリヌで、蚀いたいこずをはっきりず䌝えおくれたした。私が頑匵っおみんなに話しかけるずすぐに私の気持ちにこたえおくれ、私が䌚話で分からないずころがあるず䜕床も根気匷く教えおくれたした。日本からの留孊生である仲間ずは、毎日お互いを励たし合いたした。だんだん私は、自分から明日はこんな話をしよう、これが分からないから聞いおみようず寝る前に考えるようになり、それを実行できる日々に充実感を感じ、い぀の間にか毎日が楜しくなりたした。孊校で特に仲が良かったのは、プリダンカずディパヌシナ、ディパヌシャずいうむンディアンの女の子3人組でした。私はその3人ず初日から、仲良くなりい぀も䞀緒にいたした。勉匷は倧倉でしたが、日本では苊手だった数孊が、フィゞヌでは䞀番の埗意教科になり、先生やクラスメむトにも耒められるほどでした。

 2月の最終日に、フィゞヌの山間郚にある孊校に、日本から持っおきた文房具や衣類を寄付しに行きたした。この孊校では、䞡芪から離れお寮生掻をしながら生埒が勉匷をしおいたした。孊校から町たで車で1時間ほど森の䞭を走らなければならないので、買い物にも簡単に行けたせん。普段の生掻で䜿うものも䞍足しおいお、私たちが文房具や衣類などを寄付するずずおも喜んでくれたした。郜垂郚の生掻ず比べるず、物だけでなく、衛生面でもかなり違いがありたした。私のホストマザヌは、孊校の先生をしおいたこずもあり裕犏な家庭で、町からも車で15分ほどの堎所に䜏んでいたため、特に䞍自由を感じたせんでした。今回初めお、発展途䞊囜であるフィゞヌの内偎を芋るこずができた気がしたした。

 3月に入り、留孊生掻も残り1カ月ずなりたした。クラスの友達ずもずおも仲良くなっお、女子や男子から今たでなら考えられなかった先生の愚痎や恋バナ、冗談をされるようになりたした。それは、私が日本でしおいる䌚話ずさほど倉わらず、こういう話は䞖界共通なんだず思いたした。来たばかりの頃は、怖いず思っおいたフィゞアンの男子たちずも、ずおも仲良くなり、お互いに冗談を蚀い合ったり、日本語ずフィゞヌの蚀葉を教え合ったり、先生の真䌌をしたりしたした。最初の頃は、垭が近い人にしか挚拶をしおいたせんでしたが、埐々に教宀に入った途端倧きい声で挚拶ができるようになりたした。それに察しおみんなも、元気な声ず笑顔で挚拶を返しおくれたした。䞭には、日本語で「おはよう」ず蚀っおくれる友達もいたした。毎日がずおも楜しく、明日はどんなこずが起きるのだろうずワクワクしお、倜が長く感じるくらいでした。垰る日が近づくに぀れ、クラスメむトから、「垰らないで。ずっずここにいお。」など嬉しいこずを蚀われるようになり、私自身も本圓に垰りたくないず思うようになりたした。孊校に行くのもあず2日になっお、先生がスマホを䜿甚しおいいず蚱可を出しおくれたした。その時、みんなでたくさん写真を撮り、思い出䜜りをするこずが出来たした。登校最終日は、『ゟヌン』ずいう近くの孊校が集たっお行うスポヌツ倧䌚のような行事がありたした。この日、い぀も䞀緒にいる友達3人からたくさんのプレれントをもらいたした。これだけで十分嬉しかったのに、クラスのみんなが、玠敵なメッセヌゞカヌドをくれたした。ずおも気持ちのこもったメッセヌゞで、これを芋お私は泣いおしたいたした。みんなも泣いお別れを惜しんでくれたした。これが䞀番嬉しかったです。その埌、先生方ずクラスメむトに感謝を䌝え、ハグもしおお別れしたした。その3日埌、ホストファミリヌずもお別れし、垰囜したした。フィゞヌでは、ゎキブリずネズミを芋るこずがずおも倚く本圓に嫌でしたが、最終日の朝、ゎキブリを芋たずきは、名残惜しくなっお぀いゎキブリを远いかけおしたいたした。



 フィゞヌでは、英語ができないからず蚀っお、怖がらなくおいい、蚀葉を気にしないでみんなず䞀緒にいおいいずいうこずを教えられたした。私にずっお、フィゞヌでの経隓は私の人生でずおも䟡倀のあるものになりたした。い぀かみんなに䌚った時、みんなに恥じない自分でいたいず思いたした。看護垫になるこずが留孊前の私の倢でしたが、発展途䞊囜でたくたしく子䟛を育おおいるお母さんたちの姿に心を打たれ、今では助産垫を目指しおいたす。フィゞヌでの経隓やそこで関わった人たちが、留孊から垰っおきた日から、私の原動力になりたした。少しでもフィゞヌの人たちの力になりたい、そのために看護垫ず助産垫の資栌を取っおフィゞヌで働くこずが、私の目暙です。 END

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