学校名:青森明の星高等学校 英語科 2年生
名 前:駒井和(Nodoka Komai)
留学プログラム:高校留学(中期)
留学国:オーストラリア
留学期間:2024年1月~2024年3月
私は高校1年の冬から約3か月間、オーストラリアに留学に行きました。その経験は私が成長するきっかけになるほど私の人生において大きな節目となりました。そんな留学についてここではなぜ留学する決意にいたったか、留学中の思い出、留学後の自分の変化について順に紹介していきたいと思います。
まずは、私の高校選択について話そうと思います。私は小学生の頃から英語に興味を持っていて、小学高学年の頃には留学することに憧れを持っていました。しかし、私の中学校生活はそんな期待とは正反対に日本でも新型コロナウイルスが流行してしまい、小学生の頃に思い描いていた生活とは程遠い日々を過ごすことになってしまいました。留学どころか家族で旅行することも難しかったです。そんな中学校生活を送った私が青森明けの星高等学校を志望した理由は、1年間の留学をしても3年間で卒業することができる制度を持つ学校だったからです。中学校生活が感染症対策の毎日で窮屈だったと感じていた私は早く英語力を向上させるためにも1年間の長期留学が必要だと考えました。そのため青森明けの星高等学校のその制度は私が理想とするものだったのです。
そして、無事に入学することができ、充実した生活を送っていた私ですが高校生ともなればやはり全ての言葉の最後には『進路』という、ものがつきまといます。私は英語を使った仕事に就きたいという漠然とした夢しかもっていなかったので進路どころか将来のことを考えるのも苦手でした。そんな状態で1年間の長期留学をしたら勢いだけで進路を決めているかもしれないと怖くなった私は自分の将来を探すために1年間の長期留学ではなく3か月の中期留学をしてきました。結果として英語力は自分が思い描いていたネイティブレベルには達することはできませんでしたが、以前よりはるかに文をつなげることが苦ではなくなっていました。また、自分の将来の選択肢が増えるきっかけになったと実感しています。言語力以上に自分の意見を自分で持つことの大切さや行動力といった社会性をさらに身につけられたこと、本当の家族のように接してくれたホストファミリーやホストスクール先でできた親友に出会えたことはお金では買えないかけがえのないものだと感じています。パーティーに初めて参加したこと、英語を1日中使ったこと、現地の友達と初めて遊んだこと、とても充実した3か月でした。
そんな中でも、留学中に大変だったことは実はたくさんありました。主に自分の思い切りの足りなさと、ホストファミリーについてですが私はまだまだ受動的だったと留学中の自分を振り返ってみて思います。私のホストファミリーの家庭は特にルール等細かなものはなかったのですが、どんどん自分でやりなさいという放任的な家庭で初めての海外だった私は戸惑い、困りました。自分の中では、積極的に言動・行動していたつもりでも、まだまだたりなかった、もっと思い切った行動をとっても良かったなと思っています。しかし、高校留学という心が未熟な時期にたくさんの経験を乗り越えてきたからこそ、その学びから予期せぬハプニングが起ころうとも柔軟に物事を考えられるようになったと、帰国した今なら感じます。
私は、高校留学を通してたくさんの成長のきっかけを得ることができました。きっとこの機会は、海外だけにあるものではないと思いますが、私は様々な刺激を受けて普段から転がっている機会に気付くことができました。この学びは日本の家族、先生方、ホストファミリーや友達などたくさんの人からのサポートがあったからこそだと思います。彼らの支えにより私の高校留学がいいものとなり、さらに充実した満足のいく経験になったことを感謝します。本当にありがとうございました。また私のこの留学体験の話はほんの一部に過ぎません。留学をした人たちはそれぞれに苦労があって乗り越えてきたものが必ずあります。留学を経験して変化がない人はいません。きっと、留学に行く前と後では違ったものがあるはずです。私の体験記が留学に迷いのある人に勇気を与えるものになっているといいなと思います。私の中で、留学とは経験した全てのことが、これからの自分の人生を豊かにするとともに日本で生きる日本人ではなく、世界で生きる日本人として新たなものに出会える最初で最強のきっかけだと思います。みなさんの留学が満足のいくものになりますように、同じ日本人として精一杯応援しています。
Коментари