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佐藤 菜つ美(Natsumi Sato)

最終更新: 5月26日


名 前:佐藤 菜つ美(Natsumi Sato)


留学プログラム:中期留学


留学国:フィジー


留学期間:約3ヶ月



 私は、約3ヶ月間フィジーに短期留学をしました。なぜ留学先をフィジーにしたかというと、過去に研修などで行ったことがある国は全て先進国だったため、せっかくなら発展途上国に行って新しい世界を見てみたいと思ったからです。しかし、話を聞いてみると、フィジーは南半球の島国で、私が留学する時期は雨期だったため、湿気が多く、ネズミやゴキブリなどの虫が出るのは日常茶飯事とのことでした。経験のないことばかりでとても不安に思いましたが、私はフィジーへの留学を決めました。出発の日が近づくにつれ、徐々に不安よりも、何とも言えないワクワク感とこれからどんな人に出会いどんな3カ月を過ごすのだろうという期待でいっぱいになりました。

 しかし、いざ行ってみると自分はなんてところに来てしまったんだと飛行機を降りた途端に、早くも後悔しました。なぜなら、日本が1月で真冬なのにも関わらず、フィジーは真夏で気温が30度もあり、極端な温度差で、体がばててしまうんじゃないかと思ったからです。でも、私のホストファミリーは60代のおばあさんと30代の息子さんが1人のインディアンの家庭で、何度も日本からの留学生を受け入れていることもあり、すぐに打ち解けることができました。日本からのお土産も喜んでくれ、一気に仲良くなり、その日は一緒に夕食を作りました。現地では、コロブトカレッジという学校に通いました。小、中、高校が集まっていてフィジアンとインディアンの生徒が700人程いる学校です。


 そこに留学生が2人でした。そのため、私たちは一気に注目をあび、たくさんの人が話しかけてくれ、何かと気にかけてくれました。しかし3週間が経つ頃にはみんな慣れてきて、あまり声をかけてくれなくなりました。この時期、私はホームシックになり、気持ちがとても落ち込んでいました。何度かホストファミリーに隠れて泣いたこともありました。しかし、この状況から抜け出し、残りの留学生活を楽しむことが出来たのは、フィジーの人柄の良さと一緒に留学した仲間の存在があったからです。クラスメイトはとても明るくて優しく、男女ともにフレンドリーで、言いたいことをはっきりと伝えてくれました。私が頑張ってみんなに話しかけるとすぐに私の気持ちにこたえてくれ、私が会話で分からないところがあると何度も根気強く教えてくれました。日本からの留学生である仲間とは、毎日お互いを励まし合いました。だんだん私は、自分から明日はこんな話をしよう、これが分からないから聞いてみようと寝る前に考えるようになり、それを実行できる日々に充実感を感じ、いつの間にか毎日が楽しくなりました。学校で特に仲が良かったのは、プリヤンカとディパーシナ、ディパーシャというインディアンの女の子3人組でした。私はその3人と初日から、仲良くなりいつも一緒にいました。勉強は大変でしたが、日本では苦手だった数学が、フィジーでは一番の得意教科になり、先生やクラスメイトにも褒められるほどでした。

 2月の最終日に、フィジーの山間部にある学校に、日本から持ってきた文房具や衣類を寄付しに行きました。この学校では、両親から離れて寮生活をしながら生徒が勉強をしていました。学校から町まで車で1時間ほど森の中を走らなければならないので、買い物にも簡単に行けません。普段の生活で使うものも不足していて、私たちが文房具や衣類などを寄付するととても喜んでくれました。都市部の生活と比べると、物だけでなく、衛生面でもかなり違いがありました。私のホストマザーは、学校の先生をしていたこともあり裕福な家庭で、町からも車で15分ほどの場所に住んでいたため、特に不自由を感じませんでした。今回初めて、発展途上国であるフィジーの内側を見ることができた気がしました。

 3月に入り、留学生活も残り1カ月となりました。クラスの友達ともとても仲良くなって、女子や男子から今までなら考えられなかった先生の愚痴や恋バナ、冗談をされるようになりました。それは、私が日本でしている会話とさほど変わらず、こういう話は世界共通なんだと思いました。来たばかりの頃は、怖いと思っていたフィジアンの男子たちとも、とても仲良くなり、お互いに冗談を言い合ったり、日本語とフィジーの言葉を教え合ったり、先生の真似をしたりしました。最初の頃は、席が近い人にしか挨拶をしていませんでしたが、徐々に教室に入った途端大きい声で挨拶ができるようになりました。それに対してみんなも、元気な声と笑顔で挨拶を返してくれました。中には、日本語で「おはよう」と言ってくれる友達もいました。毎日がとても楽しく、明日はどんなことが起きるのだろうとワクワクして、夜が長く感じるくらいでした。帰る日が近づくにつれ、クラスメイトから、「帰らないで。ずっとここにいて。」など嬉しいことを言われるようになり、私自身も本当に帰りたくないと思うようになりました。学校に行くのもあと2日になって、先生がスマホを使用していいと許可を出してくれました。その時、みんなでたくさん写真を撮り、思い出作りをすることが出来ました。登校最終日は、『ゾーン』という近くの学校が集まって行うスポーツ大会のような行事がありました。この日、いつも一緒にいる友達3人からたくさんのプレゼントをもらいました。これだけで十分嬉しかったのに、クラスのみんなが、素敵なメッセージカードをくれました。とても気持ちのこもったメッセージで、これを見て私は泣いてしまいました。みんなも泣いて別れを惜しんでくれました。これが一番嬉しかったです。その後、先生方とクラスメイトに感謝を伝え、ハグもしてお別れしました。その3日後、ホストファミリーともお別れし、帰国しました。フィジーでは、ゴキブリとネズミを見ることがとても多く本当に嫌でしたが、最終日の朝、ゴキブリを見たときは、名残惜しくなってついゴキブリを追いかけてしまいました。



 フィジーでは、英語ができないからと言って、怖がらなくていい、言葉を気にしないでみんなと一緒にいていいということを教えられました。私にとって、フィジーでの経験は私の人生でとても価値のあるものになりました。いつかみんなに会った時、みんなに恥じない自分でいたいと思いました。看護師になることが留学前の私の夢でしたが、発展途上国でたくましく子供を育てているお母さんたちの姿に心を打たれ、今では助産師を目指しています。フィジーでの経験やそこで関わった人たちが、留学から帰ってきた日から、私の原動力になりました。少しでもフィジーの人たちの力になりたい、そのために看護師と助産師の資格を取ってフィジーで働くことが、私の目標です。 END

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